こんなときだからブログを書こうと思う

日常

何かと話題が尽きない2020年。100年も生きているわけではないので1920年頃のスペイン風邪が流行したときの世の中は知らないが、この100年の中でも大きな転換期のひとつになっていることは間違いないことでしょう。敵が見えない戦争とは言ったもので、見えないものに対する恐怖と不安は計り知れないものがあります。メディアで連日連呼されるコロナウィルス関係のニュース。情報に踊らされているわけではないですが、煽られて気持ちがネガティブになることもなくはなく、最近家に居るときは基本的にテレビを付けず、朝と夜のニュースをチェックするぐらいにしています。

そんなご時世、先程書いたようにメディアから流れてくる情報に煽られているような感覚に陥っていると、自分が生きる本質が何なのか、何か曇った感覚があるように感じませんか。そこで、ブログという媒体で乱文を晒しながら思考するのもよいかと思い、ブログを再開することにしました。

思考の本質を整理し、有意義に

あれも不安、これも不安・・・とこの混沌とした世の中で考えていても仕方ないでしょうし、前向きに物事を組み立てて行かなくては強く生きていけないのではないかと考えています。例えば、手洗い・うがいはしっかりしてる。感染しないわけではないが、リスクを下げる取り組みはしている。更にリスクを下げるためにやめること・やることを再考する。・・・といったように。ノイズある情報を触れていては、こうした考えも纏まりません。だったら、目の前に白い紙を一枚置いて考えるが如く、ブログの投稿画面と面合わせて落ち着いて思考することが重要なのだと思っています。ここでのポイントは落ち着くこと。メディアからの情報を断ち切り、静かな中で考える機会はとても貴重で、価値があることで、贅沢なことです。

故に、大きくジャンプするために

だいぶ前、おそらく東日本大震災で走り回っていた頃にネットで拾ってスマホの壁紙にしていた言葉の画像があります。

大きくジャンプするときは、大きくしゃがむ。今、めっちゃ凹んでんのは大きくジャンプするためや。

誰が書いたものかわかりませんが、常にアップダウンの激動の中に身をおいてきたと思っている自分にとって、苦しいと感じるときに思い出す言葉です。今年3月末で関わっていた仕事の契約が終了し、フリーで動こうとした矢先のコロナショック。生活はとても苦しいですが、フリーで動くための準備期間として与えられた機会なのかとも思い、自身との対話を大切に、そして落ち着いて思考していこうと思うのです。

きっとブログは「精神と時の部屋」

実はnoteに書いていこうかとも考えたのですが、これまで書いてきたように、自分のために書いていこうという趣旨がある、つまり自己満足な乱文であると考えているので、人様に大きく発信しようとは思えませんでした。ですから、孤立した部屋で向き合う環境にしようとブログを選択しました。とはいっても、多少なりお駄賃がつけばいいなという打算も1ミリぐらいあってGoogleアドセンスもつけています。(設定が合ってるかしりませんが)

内容も雑多で、オピニオン的なことも書くとは思いますが、あたたかく見守っていただけると嬉しいです。ここまで読んでくださってありがとうございます。

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